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浄土真宗本願寺派本光寺

 

源満仲平安中期の武将。経基(つねもと)の子。摂津(せっつ)源氏の祖。安和(あんな)の変に藤原氏と結んで勢力をのばし,清和源氏発展の基礎を固めた。摂津多田(ただ)(兵庫県川西市)に住し多田源氏と称した。当寺初代開基と深く関わる人物であり、天台宗圓満寺を建立する。圓満山本光寺の名前の由来はここにあるとされている。

高野山にお墓があります。

 

私の調べでは多田神社とも深い関わりがあるらしい。

その本願寺第八代蓮如が1471年、越前吉崎で浄土真宗の布教を精力的に行う。その時、弟子となり光善に慶恩坊蓮慶の法名を与え本願寺派に属する。(1472年)
                                           
 伝へ聞く、人の名の字は主によるといへる事のありぬらん。夫慶恩坊とかきては、恩を悦ぶとよめる歟。しかれば此恩といふは、抑なにの恩やらん。凡そ勘へみるに、此仁は本は聖道門の人なれども、近比はたゞ弓箭にのみたづさはりて、更に其聖道をおいて仏法修行の心はあさかりき。依之不思議の宿縁のもよほしによりけるか、当山に来至せしむる間、何となく一流安心のおもむき耳にとゞむる。其恩を悦ともいひつべき歟。又京都は本来本所たるがゆへに、こゝにてうる所の信心は、みなもと京都聖人の御恩なるがゆへに、とをく京都の御恩を悦ぶ道理にもかなふべき歟。何様にも両 様につけて可然勘へなれば、旁以殊勝の坊号たるものなり。
法名
釈蓮慶
慶恩坊
実名
光善
文明四年極月廿八日
釈蓮如(花押)

                                                                                                                                     (帖外御文章 第255通
尚、蓮慶は蓮如の3男で母は貞房である当寺は蓮如ゆかりの寺院ということになる。

宗祖影像は蓮如上人より慶恩が授けられたものである。近年の研究で当寺の親鸞聖人像は左上御影と確認された。

宗祖影像
本願寺年表
​左上御影として知られ学術的にも貴重なものである。
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